第93回15年7月23日
プロジェクトX
日本初 衝撃の最前線


 当時、最高の人気番組で初回は、平成15年7月23日に放送された。その後、何度も再放送されている。この番組の主人公は、当院理事長の杉本 侃である。その若き日の姿を見ることが出来る

この物語の背景になったのは、大阪大学医学部付属病院の特殊救急部である。大学病院が、本格的に瀕死の救急患者の治療に取り組んだ最初の 救命救急の物語である。           
特殊救急部が発足した昭和41年の大阪は、万国博の開催を4年後に控え、道路の拡張が始まり自動車が急増して、事故が多発していたいた。
その犠牲者の発生率が全国一となり「交通戦争」と呼ばれた。しかし、重症患者を救急治療ができる病院はなく、たらい回し」が社会問題となっていた。

大阪府は大阪大学付属病院に、24時間、重症患者を受け入れる施設の設置を要請。昭和42年8月、日本初の「特殊救急部」が誕生した。
リーダーは、34歳の杉本(つよし)。メンバーは皆20代から30代の若い医師達であった。

血の海、緊迫した声が飛び交う医療の最前線。修羅場の中で、若き医師達は次第に自分の専門分野を磨いていく。そして、多発外傷」の患者が次々と運び込まれて来た。
杉本以下、メンバーは総力を挙げ、消えゆく患者の命と向きあった。そして運命の一瞬。
このようにして、日本初の救急医療に挑んだ若き医師達の壮絶な闘いのドラマは、展開していく。

物語はすすむ。 このような重症患者の救命には、ただ同じ治療を繰り返していてはならない。
患者の病態の解明と新しい治療法の開発が不可欠である。その研究の進歩と、救命救急医学の発展が、スタッフの実力の向上につながる。
だが医学界で認められるのは、遅かった。
ようやく5年後に、杉本は外科学会の檜舞台に立つことになる。 その成果は、外傷外科学として出版されることになった。
本書はその後10年以上にわたり、日本の災害、外傷の最高の教科書となった。
後に、最重症救急患者救急患者の治療を目的にした救命救急センターが日本中に設立され、それを核にした救急医療システムが構築されることになった。
その端緒はこのようにして始まったのである
 
 
◆大阪大学特殊救急部