救命救急医療


次へ    このページのトップに戻る     


杉本 侃理事長は、大阪大学医学部附属病院において、日本で最初の本格的な救命救急医療を行い、日本の救急医療システムの構築に主要な役割を演じてきました。それによって、日本には180カ所の救命救急センターが設立されました。阪神大震災の時には、その救急医療の指導者として重要な役割を果たしました。
そのような立場から、救命救急や災害医療についての提言が今も、新聞などによく取り上げられています。そのうちのいくつかをご紹介します。
wpe2.jpg (20009 バイト)

救命救急医療は生命への挑戦」
平成16年4月14日(水) 産経新聞朝刊 アピール欄掲載

今から38年前、日本で始めての救命救急医療を、私は阪大で開始した。その後、百八十カ所の救命救急センターが活動している。そこでは、1%の可能性にかける献身的な医療が続けられている
.


病院理事長 杉本 侃 72 (兵庫県宝塚市)
wpe16.jpg (25757 バイト)災害時の医療

診療体制情報の伝達重要

阪神大震災からまもなく十年がたつ。六千四百人以上の命が失われたこの災害から、我々は、もっと教訓を得るべきだ。

死亡者の半数は倒壊した建物による外傷死であった。即死した方も多かったが、病院まで搬送さたものの、命を失った人も少なからずいた。そうした犠牲者を助けることができなかったのか。検証すればするほど、重大な課題が未解決のまま残されている事に気がつく。

私は、当時、大坂大学救急医学講座の教授として、多数の犠牲者の処置に当たった。また、震災後は、初期医療の実態調査を厚生省研究班の責任者として行った。そこから、重要な事実を見いだした。数多くの死傷者が出た震災現場では、病院もまた壊滅状態にあった。しかし、患者は診療能力に関係なく、とにかく近くの病院へ殺到した。適切な診療を受けることが出来なかったことは明らかである。この人達を救出し、少しでも、診療能力がある病院へ行かせる方法はなかったか。これが第一の課題である。

実際には、それは可能だったのである。震災の中心地近くでも、数百メートル離れると家屋の倒壊が比較的少ない地域がモザイク状に存在した。その地域には、被害の少ない病院も存在していた。地域の死傷者も少ないため、病院の利用率も少なかった。患者が殺到する病院と、手のすいている病院。このような、不合理な患者の分布は1週間たっても、改善されなかった。どこの病院に診療能力があるかという、情報が全くなかったためである。

大震災時は、通信が途絶し、唯一の頼れる情報は、ラジオであった。この通信手段をもっと有効に生かすべきだ。1994年のロサンゼルス大震災の時には、診療可能な病院と空床の最新情報をラジオが6時間毎に更新して伝えた。これは、すぐにでも可能であり、メディアは、大災害時の報道のあり方を再検討すべきだ。 また重症な患者の救命のためには、震災地域外の病院へへ搬送することが必要である。それには、ヘリコプター搬送が欠かせない。ただし、自治体の大多数の消防救急隊は、救急ヘリコプターを持たないので、その運用実績も能力も持っていない。期待できるのは、自衛隊のみである。自衛隊は鹿児島や沖縄の離島救急搬送の主役として、平時にも活動を続けている。この経験を最大限生かすようなシステム作りが望まれる。

阪神大震災では、被災地の病院と大阪市内の大学病院などとの情報交換ができなかった。医療機関同士の連絡体制確保は急務である。その際に留意すべきは、大震災の時にだけ役に立つような、通信連絡システムを構築しようとしてはならない。維持と更新には膨大な資金と労力が必要になり、それが負担となって何年かたてば、放棄され忘れ去られてしまう。NTTに頼めば、非常時に通じやすい公衆電話なみの優先度の高い回線を設置してくれるが、このことを知らない医療機関が多い。
大震災では、普段出来ていることの何%かしか出来ないものである。まして、日常業務とは、無関係なことを急に実施する事は不可能である。重要なことは日常業務として充実させ、一旦緩急あれば大災害に役立てるという考え方が重要だろう。常にそれを念頭に置き、災害対応の連携システム作りをすることが求められる。

杉本 侃
専門は救急医学、外科。元日本救急医学会理事長。
平成16年9月22日 読売新聞朝刊 論点 掲載







トップ アイコントップページへもどる

直線上に配置